ここが違う 数学が苦手な人、得意な人の「考え方」
日経おとなのOFF
数学が苦手な人の多くは、自分には才能がないと思い込みがち。でも、それは間違い。「アプローチ法さえ知っていれば、問題は解ける」と、おとなにも人気の数学塾塾長・永野裕之さんは説く。ポ
イントは「考え方」。数学が得意な人が実践する、問題を解くための「6つのアプローチ」を紹介。日常生活にも役立つものばかりだ。
なぜなら、どんなに難解に見える数学の応用問題も、基本問題の組み合わせから成り立っているからだ。つまり難解な問題も、俯瞰して見れば、いくつかの容易 な基本問題に分解できるのだ。複雑に絡み合った基本問題を解きほぐすには、問題へのアプローチ法(考え方)を知っておくことが有効な手段となる。「数学が 得意な人ほど、問題を解きほぐし『そもそも』の部分に立ち返るのがうまい」と永野さんは指摘する。
ここでは日常生活にも役立つ6つの問題に対するアプローチを紹介する。このアプローチを覚えておけば、未知の問題を前にひるむことがなくなるはずだ。その上で問題を俯瞰して考えることが、難解な問題を解く第一歩となる。
・数学が得意な人→問題を俯瞰できる
・数学が苦手な人→問題の壁の前で立ち止まっている
【数学が得意になるということ】
「スタンフォード:本当の答えを見抜く力」(キース・デブリン)
に、スタンフォード大学に入学した大学生に教える「数学移行講座」の教育内容が書かれています。
数学移行講座が必要な理由は、学生が大学の数学教育についていけるようにする基本的考え方を教える必要があるからです。
「数学的能力は2つのタイプに分類できます。
最も必要とされている能力は、2つ目のタイプの能力で、
製造業などで新しい問題に取り組んで、その鍵となる特徴を認識して数学的に記述し、その数学的記述を使って問題を正確に分析することができる能力です。
数学教育では主に1つ目のタイプの人間(公式を覚えて当てはめて定型的な問題の答えを出すことができる)を育てることに力点が置かれてきましたが、結果的に2つ目のタイプの人間も育ちました。
21世紀は、タイプ2の能力に対する需要の方が大きくなっています。
このタイプ2の人材は、
数学の箱の中ではなく、外で考えられる人材です。
「斬新な数学的思考家」と呼ぶのが良さそうです。
「数学が得意な人と苦手な人との大きな違いは、才能ではなく、問題を俯瞰(ふかん)して捉えられるか否かです」。
という能力は、
数学の新しい概念を学ぶ毎に、
(1)その概念が「問題を簡単に解ける役にたつのか」。
(2)「公式を忘れても良い役に立つ(その公式を導き出せる)のか。」
を納得しながら学ぶという習慣の積み上げの結果のように思います。
言い換えると、新しい数学の概念を学ぶ毎に、
「それによって何がうれしいのか」を、
納得しながら学ぶ習慣があるということです。
数学の公式の定義などの数学の概念を正しく理解することで、その公式がほとんど自明に見えて、公式を覚えないでも良くする「うれしさ」がある数学概念を理解することです。
「何がうれしいのか」が自分だけでは分からない場合は、「数学の歴史」を学ぶことで、最初にその数学の概念を考えた人が、その概念の「何がうれしい」と思っていたかを学ぶことでわかります。
「何がうれしいのか」を納得しながら学ぶという態度の根底には、数学を学ぶ時間を楽しもうとする心(これが一番大切)があります。同じ時間をかけて数学を学んで同じ数学力を身につけても、その学ぶ時間を「楽しい」と思うか思わないかで、天と地の差があります。
楽しくなければ、数学を学び続ける事はできません。学びを楽しもうとする心が一番大切だと思います。
数学の勉強で「非効率な学び方をしたく無い」と思っている人は、学びを楽しんではいないと思います。ただし、「非効率」というよりも、「無意味な」学び方があります。それは、理解不能な事をただ聞いて何かの断片的知識(公式など)を分からないながら覚える、という学び方が「無意味な」学び方です。数学の理解不能な授業を聞くよりは、その時間に英語の単語を覚える勉強をする方がましと思います。「無意味な」勉強をしてはいけません。
自分の理解可能な数学を学ぶ確実な方法は、自分が解けそうな問題を自力で解いていく事です。
リンク:
高校数学の目次
・数学が苦手な人→問題の壁の前で立ち止まっている
【数学が得意になるということ】
「スタンフォード:本当の答えを見抜く力」(キース・デブリン)
に、スタンフォード大学に入学した大学生に教える「数学移行講座」の教育内容が書かれています。
数学移行講座が必要な理由は、学生が大学の数学教育についていけるようにする基本的考え方を教える必要があるからです。
「数学的能力は2つのタイプに分類できます。
最も必要とされている能力は、2つ目のタイプの能力で、
製造業などで新しい問題に取り組んで、その鍵となる特徴を認識して数学的に記述し、その数学的記述を使って問題を正確に分析することができる能力です。
数学教育では主に1つ目のタイプの人間(公式を覚えて当てはめて定型的な問題の答えを出すことができる)を育てることに力点が置かれてきましたが、結果的に2つ目のタイプの人間も育ちました。
21世紀は、タイプ2の能力に対する需要の方が大きくなっています。
このタイプ2の人材は、
数学の箱の中ではなく、外で考えられる人材です。
「斬新な数学的思考家」と呼ぶのが良さそうです。
「数学が得意な人と苦手な人との大きな違いは、才能ではなく、問題を俯瞰(ふかん)して捉えられるか否かです」。
という能力は、
数学の新しい概念を学ぶ毎に、
(1)その概念が「問題を簡単に解ける役にたつのか」。
(2)「公式を忘れても良い役に立つ(その公式を導き出せる)のか。」
を納得しながら学ぶという習慣の積み上げの結果のように思います。
言い換えると、新しい数学の概念を学ぶ毎に、
「それによって何がうれしいのか」を、
納得しながら学ぶ習慣があるということです。
数学の公式の定義などの数学の概念を正しく理解することで、その公式がほとんど自明に見えて、公式を覚えないでも良くする「うれしさ」がある数学概念を理解することです。
「何がうれしいのか」が自分だけでは分からない場合は、「数学の歴史」を学ぶことで、最初にその数学の概念を考えた人が、その概念の「何がうれしい」と思っていたかを学ぶことでわかります。
「何がうれしいのか」を納得しながら学ぶという態度の根底には、数学を学ぶ時間を楽しもうとする心(これが一番大切)があります。同じ時間をかけて数学を学んで同じ数学力を身につけても、その学ぶ時間を「楽しい」と思うか思わないかで、天と地の差があります。
楽しくなければ、数学を学び続ける事はできません。学びを楽しもうとする心が一番大切だと思います。
数学の勉強で「非効率な学び方をしたく無い」と思っている人は、学びを楽しんではいないと思います。ただし、「非効率」というよりも、「無意味な」学び方があります。それは、理解不能な事をただ聞いて何かの断片的知識(公式など)を分からないながら覚える、という学び方が「無意味な」学び方です。数学の理解不能な授業を聞くよりは、その時間に英語の単語を覚える勉強をする方がましと思います。「無意味な」勉強をしてはいけません。
自分の理解可能な数学を学ぶ確実な方法は、自分が解けそうな問題を自力で解いていく事です。
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